- 『新潟発R2018秋冬・8号 旅するFOOD』より
- 取材・文=大橋純子
日本海は安全なハイウェイ
本間先生によれば、海産物のほとんどは海流に乗ってやって来たのだという。
「日本海は荒波のイメージがありますが、春から秋にかけての日本海は気候がいいのです。日本列島が湾曲しているから距離的に大坂(大阪)とも近いですしね。北半球は偏西風が吹くので流されたら大変なことになりますが、日本海ならどんなに流されても日本に着く。北前船による日本海の海運が発達したのは、日本海が安全だからなのです」
こうして運ばれた海産物が新潟で地元の海産物と出合い、新しい食文化を形成してきました。関門海峡、瀬戸内から新潟を経て蝦夷地に至るルートは、実に安全なハイウェイだったのだ。
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発酵食を生んだ川の強さ
新潟湊に水揚げされたのは身欠きニシン、塩鮭、塩マス、塩など膨大な量と品目だ。これらは舟で川をさかのぼり、各地へ運ばれた。第2特集では街道と川がもたらした食を特集する。新潟を代表する発酵食品の町、沼垂(新潟市中央区)と摂田屋(長岡市)もまた、水運の恩恵をたっぷり受けたといえる。
「新潟湊に北前船でやって来た塩は、栗の木川を通って運ばれました。亀田あたりから材料が来て沼垂あたりで一緒になり、酒、みそ、焼酎などの発酵食品が作られました。信濃川には新潟から魚沼の小出まで定期船が出ており、長岡も塩が手に入りやすく摂田屋でも発酵食品が作られました。新潟は天領で制約が少なく、街道筋で物が集まったことから発展しました」
湊に近い沼垂だけではなく、街道沿いの摂田屋の発展の陰にも舟運があった。水運という川がもつ力を改めて感じる。
風土によって支配される“食”
北前船により新潟で豊かな食文化が花開いた背景を概観すると、風土との関係に思いを馳せずにはいられない。
「食に対する風土の影響で、直接的なのは『そこで何ができるか』ということです。何ができるかを風土が支配し、そこから代表する食材や食べ物が生まれてくる。風土という自然が食べ物の生産を支配し、できた食べ物が食の多様性を支配するのです」
新潟の場合、そこに海からの「到来物」が加わった。到来物は今ある食べ物に刺激を与え、そこに新潟の人の知恵が加わって、新たな食の風土を形成していった。
新潟はおいしい。その理由が見えてきた。
本間伸夫(ほんま・のぶお)
新潟大学農学部卒業。農学博士。新潟県内各地の食文化を、他県との比較などを通して多角的に研究し続けている。主な著書は『食は新潟にあり』(新潟日報事業社)、『健康食ごはん』(農文協)など。編著に『聞き書 新潟の食事』(農文協)がある。
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